自分という存在は、他人によって形作られていく
自分の存在は、他人によって形作られる という仮設の元、油絵制作をしています。
具象のモチーフがほとんどですが、グラフィック、幾何学、抽象表現など、どこか広告的でシンボリックなイメージを表現することを目指しています。
このような絵を制作している背景として、19歳になったばかりの夏、私は中国へ留学をしました。
当時うまく言葉が通じないことや、お互いに理解しあえないコミュニケーションを体験し、今まで何一つ疑うこともなく当たり前に生きていた日本での生活から、自分の存在が急にグッと浮き彫りになる感覚になりました。
みんなは私を「日本人」と呼ぶけれど、果たして日本人らしさ、自分の個性・・・それら「自分の存在を証明するもの」は、どこで作られて、どこで決まるんだろうか。そんな素朴な疑問が制作の出発点です。
コミュニケーションミスによって、他人の中で意図しない形で自分の存在が形成されたり、「日本人」「女性」などといったフィルターを通して存在が形作られる・・・それは外国人同士のコミュニケーションだけでなく、人と人との間でごく日常的に起きていることで、実は存在とは、時間の流れや出会いによって千差万別に移ろう、不確かでとても曖昧な物であると考えるようになりました。
そういった観点から、表現の原点でもある「自分らしさ」「個性」の根源はどこにあるのか。不自然に切り取られたり、形を変えられた物や風景を描くことで「存在」そのものの曖昧さやズレのような違和感を表現しようと日々制作をしています。